これからの就業について

以下は私が「秀コラム」第1830話として、2016年5月25日に発表した原稿です。
「就職」ではなく、敢えて「就業」というワードを選んで使用しています。


 
 会社勤めを辞めて、人とのしがらみがなく自由に仕事をしている私が、「就業」なるワードについて何かを述べようというのは、いささか心苦しいところもあるが、お付き合い頂きたい。

 その前に、私たちは自分の子ども達が就職するような歳になっている。子ども達に「勉強しろ!」と言っただろうか?。私は言わなかった。「勉強をしても実社会ではあまり役に立たない」ことを知っているし、「勉強したら何か良いことがあるのか?」、の回答を持ちあわせていないわけだから、そう説得する理由がなかった。代わりに、「今しかできないことをやりなさい」と、何度も繰り返した。もし、その当時の自分にもそう声を掛けてくれる人がいたなら、私の人生はもっと早い時点で変わっていたに違いない。

 例えば、計算や記憶などはコンピュータに敵いっこない。今さらこんな事の学習に時間と金を費やしたり、順位を決めたりすることに、どれほどの意味があるのだろうか?。自力でいくら早く走れるようになっても、自動車が横を通り抜けていくようなもんだ。コンピュータを自在に操れる方が、多くのアウトプットを出せる。外国語もできた方が良いに決まっているが、現地では小さな子どもでも喋っている。その一方で、実際にビジネスで使用できるレベルの外国語となると、人を雇った方が遥かに効率が良い。むしろ、そんなビジネスセンスの方が重要だ。

 さて、そんな若者たちへのこれからの就業についてである。もはや、良い学校を卒業したからとか、大手の企業に就職したから安泰という世の中ではない。むしろ、5年後、10年後にその仕事がどうなっているかを予測しておかないといけない。その仕事を5年後、10年後には、コンピュータがやっているかも知れないし、外国人がやっているかも知れない。法律家なんか、高度な専門職とされているが、法律の条文や判例の扱いには、これからは人工知能が最も得意とする分野かもしれない。

 人々の労働賃金は次第に低下傾向にある。瀧本哲史氏の「僕は君たちに武器を配りたい」という本によれば、労働が「コモディティ化」してしまったせいらしい。専門性がなくなりマニュアル化され、誰でもできるような労働なら、その対価は下がる。「労働市場の国際化」という言葉に、「自分は海外では働かないから関係ない」と言う人がいるかも知れないが、自分が海外で働かなくても、海外からやってきた労働力がコモディティ化した市場を狙ってくる。結果、総じて労働賃金は下がっていく。

 本当はこんなことこそ学校で教えて欲しい気がするが、「勉強をしても実社会ではあまり役に立たない」なんて本当のことを、先生が言えるはずもない。また、一般的な労働市場の実態を知らない先生方には難しい話かもしれない。そんな中、就職することが目的化してしまっている「就活」にも問題ありだ。